初スペイン=大トラブル旅行
2018年5月22日火曜から27日日曜


5月22日火曜
朝6時に安西を拾ってから空港へ。すごい空いていて7時前に着いた。まだ駅前駐車場は空いていなかった。カウンターでマドリッドで荷物取り出しとのことなので、交渉してコラーニャまでにしてもらった。これがあとでえらいことになる。成田便は7割程度。隣はいなかった。ブリュッセル便はかなり混んでいたが、隣がいないのでまあまあ快適。定刻通りブリュッセルに着く。3時間待ち。ラウンジで過ごすも途中から2時間遅れ、3時間遅れになる。コラーニャに乗り継げないのでネットで移動手段を探す。結果、深夜バスが空港から出ていることを見つける。でもそのためには荷物を取り出さないといけない。または朝便の飛行機の予約をする必要がある。空港内のイベリア航空のカウンターは無いとのことで外にでる。午前便は満席。明日の同じ時間の夜中便しかないとのこと。荷物の取り出しは無理でマドリッドで取り出せと言われる。2時間半でマドリッド。深夜バスか明日の別便に乗るために荷物を取り出すことを試みる。到着ターミナルT2の荷物テーブルにあった世界荷物サービスでは、荷物はT2のイベリアに移っているからそこへ行けと言われる。シャトルバス乗り場を探す。これが見つからない…やっと見つけてT4に移動。インフォーメーションで聞くと中に入ってイベリアの荷物ロストのカウンターにいけと言われる。どうやって中に入る?と聞くと、出てきた人がいるときに入れと… いい加減。入って事情を説明する。1つめの10番カウンターにいくと11番カウンターに行けと言われた。ここでおばちゃんが色々調べてくれた。まだ荷物が着いていないから、やっぱりT2のWBSにいけと言われる。さっきは調べてもくれなかったので、やっぱりT2に戻る。かなり疲れる。ここで再度入り込んで談判。やっと調べてくれると11時57分にT4が受け取っていると証明書を書いてくれた。再びT4に。いい加減にしてほしい。だいぶ諦めムード。11番が閉まっている様相なので10番の男の人に話す。証明書も見せる。電話を荷物搬送係に連絡してくれた。でも誰も出ない。就業時間が終わったから取り出せないとのこと。5時か6時頃なら取り出せるとのこと。もし、そのままイベリアで行くなら、そのまま搬送するけど、と言われる。もう面倒で荷物を取り出す時間を節約するため、そうすることにする。いったん外に出てイベリアのチケットカウンターで、切符二枚購入。6万ユーロ!高すぎる。もういいやって感じ。ここのおっちゃんが、荷物はOKでコラーニャまで行くから心配するなと言ってくれた。で、明日の夜中まで時間が空いた。この時点で1時回ったところ。近くでいいホテルないかと聞いたところ、一駅むこうにバラハスの言う箇所があり、ここにホテルがたくさんあるという。地図で確認してタクシーでそこにむかう。20ユーロも取られた。回れるホテル7,8軒回ったけど全て満室ということで断られた。深夜の町中を二人でとぼとぼ歩く。一人なら無理。この町から空港のT1まで歩く。400m位と思いきや、30分ほど夜道を歩いた。


遅延証明とほほ



23日水曜
寝場所を探してあちこち探す。結局1階の到着出口のところのベンチを見つけた。夜寒い… 他の場所を探したりしたけどここが空いている。2時間ほど寝た。日比谷公園のベンチ形式で横になれないのが痛い。5時半に動き出して地下鉄駅にむかう。夜便まですることがないのでつらいのを覚悟して観光をする。

セゴビアに行くことにする。地下鉄の出口と同じフロアにセゴビア行の窓口発券。空いていて二人掛けを一人で使う。1時間で着く。このバスが快適でやっと寝れた。バスターミナルで下りて安西の携帯に従って中央通りを歩くとすぐに水道橋が見える。上に上がるけど、橋の天端は見えなかった。今もパイプを通して水道で使っている。ここから歩いてカテドラル、セゴビア城へと歩く。別の道で水道橋まで戻る。食事する場所を探す。橋のすぐわき。坂にあって椅子がひっくり返りそうになる。子豚の丸焼き(コチニーリャ・アサード)がある。セビリアスープ(野菜スープで茶色)、エビのサラダ、スペインオムレツ(ジャガイモ入りでしっとり)を注文。Protos地元ワインを頼む。21ユーロで安いし、美味しい。うまい。このお通しが豚の皮を揚げたもの。これはいまいちだった。1時45分のバスで帰る。帰りも空いていて、快適に寝ていた。しかし、よく歩いた。安西の万歩計によればこの時点で0時から2万歩近い。そりゃ空港でいっぱい歩いたから。マドリッドに戻ってからソフィア王妃芸術センターまで歩く。外側は赤色の壁で覆われた近代的なデザイン。ここではとにかくゲルニカ。サンミゲル市場を見て、店を物色してから地下鉄で空港に戻る。7時位。チェックインして荷物が問題ないことを確認。だけど安心できない。

ゲートに行ってネットを見ると…1.昨日飛行機に乗らなかったので往復切符がキャンセルされていた。2.昨日、ホテルに行かなかったのでキャンセルされていた。かなり焦る。安西にインフォーメーションのお姉ちゃんに宿に電話をかけてもらう。宿は通じないらしい。とにかく家なき子はたまらないので新しい宿を電話して聞いてもらうも一部屋だけならあるとのこと。搭乗時間になって時間切れ。かなり不安な気持ちであったが、ひどく疲れてボロボロで機内でずっと寝ていた。コルーニャの空港は山形空港を一回り小さくした感じ。夜中の11時ということで店や案内所は全て閉まっている。荷物は出てきた。1つ解決。結局、タクシーで予約した宿に行って、だめなら大きいホテルに向かう作戦とした。30分くらいかかって30ユーロ。遠かった。ホテルの前には入れないので、安西にタクシーを止めてもらっていて、自分がホテルに走る。とにかく泊めてもらう闘志でいく。ホテルに入ったらパブであった。そこからオジサンが出てきて対応してくれた。名前は2つあった。やっと部屋に入れた。シャワーはお湯がふんだんにでた。小さい汚いホテルだけど十分。下のパブの騒ぎがうるさいけど、すぐに寝た。ベッドはいい。



24日木曜
9時に集合。海岸線の通りを通って会場へ10分ちょっと。すごい青空である。海も青い。会場でチェックイン。参加費890ユーロ。換金したものが全部もってかれた。会場は狭い会場で20人くらい。朝のブレイクのサンドイッチが朝食替わり。おいしい。一日会議に出ていた。市場を回って、中央通りを通って一度ホテルに戻る。タパスバルを探して2件。



25日金曜
8時半にチェックアウト。安西の発表はまあまあ。スライドはいまいち。質問は3つ。一番盛り上がっていた。1:川の比較で人口調整は? 2:警戒情報に使えるか? 3:NZもやはり津波を見に行った人がいた。西イングランド大学の女の先生が休憩のときにずいぶん話かけてきた。発表者も聴講者も少ない。会議終了後、雨が降る前にということで港のわきのサン・アントン城へ。市場を抜けていく。こっち側の海は大きな港である。無敵艦隊の基地だったそう。夕食ということでホテルの隣でタパス。タコとビールとワインだけで7時頃までいた。電気を消されて、閉めると安西が聞くと今閉めるとのこと。ホテルから荷物を出してタクシー乗り場から空港へ。なぜか15ユーロで15分位で着いた。初日はなんだったんだ?? ぼられた。深夜料金。

とりあえずチェックインしようとすると…キャンセルという。バスでマドリッドまで連れていくとのこと。トドメであった。参った。カフェの食事券くれたけど美味しくない。カフェは9時にはすごい行列と人があふれていた。9時半発で飛行機と同じ時間にバスが出る。すごい人である。3台バスがきたけど2台で行く。なかなか出発しないのでスペイン人が怒っていた。バスが動き出したときに拍手が出ていた。当然満席でとなり安西。10時に出て1時に休憩。GPSで見るとちょうど中間。安西はここでわけのわからないたばこを購入。けつが痛い。寝返りがうてない。あー、本当に参る。5時にT4にバスは着いた。タクシーでホテルまで。40ユーロ。30じゃなかった。着いたのは朝5時45分。シャワー浴びて充電して就寝。すでに空は白んでいた。


発表はOK。人少ない。

タクシー乗り場のところ

キャンセル。なえる。

混雑のカフェ

皆待っている

バス内 青い



26日土曜
9時15分に携帯のアラームで起きる。9時40分にチェックアウト。朝食は食べず。地下鉄のMoncloa駅の目の前であった。寝不足でもとにかく観光。プラド美術館。11時40分。外景の写真を撮ってからサンミゲル市場へ。ここでサングリアを飲む。甘い。ジュースみたい。店によって味が違うとか。偶然安西がカメの手を見つける。ペルセベス。ちょっとで11ユーロ。噛みついたら潮が飛び出た。外側は布みたい。12時半まで。地下鉄でホテルに戻り、再度空港まで。2時に着いた。イベリアのカウンターでは、安西の荷物は成田まで、自分のはブリュッセルまで。定刻通り離陸した。安心。寝不足続きなのですぐ寝た。しばらくすると病人が出て医者を呼んでいた。初めてみたかも。隣の女性がCAらしく(安西談)、ときどき手伝っていた。飛行機戻るのか!と一瞬不安になるが、途中で機長から機内サービスが不調ですまないとのこと。少し安心。定刻より早く着いた。定刻を少し遅れて出発。食事が終わってほとんど寝ていた。


サラミ

日本語

お菓子屋 トゥロンを購入



27日日曜
定刻通り成田に。定刻より少し早く仙台。9時前に安西を下す。無事着いて安心。時差ぼけは全くないのは徹夜等が続いていたから。