平成1322

河川工学期末試験

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注意! 問題をよく読むこと。指定された解答以外は得点が与えられない

問1 以下の用語について解説せよ.(40)

  1. 観点望気
  2. 古くから伝わる言い伝えによる天気予報.気象学の裏付けのあるものが多い.「夕焼けの次の日は晴れる」等.

     

  3. 基底流出
  4. 降雨がない期間に流れている河川流量.ハイドログラフの洪水低減期間を過ぎた流量.非常に長い時間かけて減少する.この量が水需要を下回ると渇水が起こる.

     

  5. 閘門
  6. ロック.ダムなどの堰を船が通れるように水門で区切った航路.船に合わせて水位を調整する.パナマ運河が有名.

     

     

  7. 汽水湖
  8. 淡水湖に海水が大潮などの時期に流れ込む湖.完全な淡水湖ではない.生物相が豊か.

     

  9. リターンピリオド

ある期間の対象量が越える確率,超過確率の逆数で表される.例えば年最大降水量を対象とした際,ある洪水流量を超える確率Pの逆数T=/Pで与えられる.この場合,T年で一回,この洪水流量を越えるとされる.

 

 

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問2

貯留関数法は以下の運動式と連続の式から構成される.

今,時間平均流量Q(m3/s)に対してが与えられる流域の時(dt1時間)5時間後の流量はいくらか? なお,降水量は考えないものとし,初期流量は100m3/sとする.(20)

上の式を下の式に代入すると,

差分化すると

1時間後の流量は502時間後は253時間後は12.54時間後は6.755時間後は3.375

5時間後の流量は3.4m3/sである.

 

 

 

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3 次の写真を見て,この構造物の(1)名前,(2)役割を述べよ.(20点)

 

 

  1. ピストル水制
  2. 流れの向きを変え,堤防を守る.

 

 

 

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問4

次の新聞記事に対して、土木事業が貢献できる仕事について50字以内で述べよ.(20点)

 対岸のタイまで600メートル以上もあるメコン川の岸に、ポンプ小屋が浮かぶ。日本なら真夏の炎天下、水泳パンツ姿の2人の管理人が、いかにも気持ちよさそうに、川につかって送水管の故障を調べていた。ラオスの首都ビエンチャン郊外のサイフォン村にポンプ場ができたのは1978年。社会主義革命後の政府が、コメ増産を目指して造ったかんがい施設だ。毎時660トンの水で、一面の桑畑に約80ヘクタールの2期作の水田地帯が出現した。

「水を待ってる。田植えができない」。

一人の農民が催促に現れた。水中からの答えは「壊れた部品を町で買ってこないと…」。農民はあっさり立ち去った。  「田植えだからって、あくせくするやつはいないね。水の順番を待っている間、池を掘ってこつこつと雨をためるんだ。ポンプ代を節約できるから」

管理人たちも農民だが、みんなマイペースだ。

「ポンプ場のおかげで皆、田んぼを持てた。経済開放でコメを自由につくって売れる時代になり、少しずつ面積も増やせるようになった」

と言うのは、村の蚕業試験場に勤めながら農業を営むカムワンさん(40)。

 最初は、婿入りして妻の父からもらった30アール。それを開放後の6、7年前から、村人の田を10アール、翌年また10アールと借りて増やし、いまは80アールの水田でもち米をつくるまでになった。

「でも、たい肥は使うが、化学肥料や薬品は使ったことがない。水が十分あるから、後は太陽がコメを育ててくれる。無理していっぱい穫(と)る必要はないんだ」

とカムワンさん。

 田植えの後は放っておいても、二期作なのでもみで約4トンも穫れる。しかし業者に売るのは半分だけだ。

 「もっと売ることもできるが、いつも洪水に備えてとっておく。空腹を我慢してまでお金は欲しくない。無理してリッチになりたくもない」

 それでも、「4年がかりで自分で材料を集めて造った」という自宅の居間にはカラーテレビ、台所には炊飯器があった。玄関わきには真新しいホンダの50ccバイク。ビエンチャンの看護学校に通学する娘のために買ったものだった。

「ふだんの暮らしは昔とあまり変わらず、お金はたいしてかからない。でもコメをつくるとお金がたまって、少しずつ新しいものがそろえられる。それが家族の楽しみ」

と妻ラムポンさん(40)はにっこり笑う。来年はまた少し田んぼを広げたいという。

 ポンプ小屋が生まれる3年前、サイフォン村は戦場になった。ラオスの革命を恐れていた隣国タイの軍隊が、国境のメコン川を渡って侵攻してきたのだ。カムワンさんは「戦闘機が飛来し、3日間も戦車の砲声が響いた。タイの武装民も何度か村を襲い、金や200頭の牛を奪い去ったこともあった」と語る。

 だが村人は逃げずに、地下壕(ごう)でじっと耐えた。昨年8月、メコン川の洪水で村は2週間も孤立した。このときも村人は「天が与えてくれた休日」と、高床式の家の窓から釣り糸を垂れ、田んぼで投網を打って過ごしたそうだ。

 カムワンさんは言う。

「王政でも社会主義でも農民の生き方は変わらない。『サ・サ』なんだよ」

「サ・サ」は「あせらず一歩一歩」という意味だ。

(河北新報 平成81128日)

 

 

問4 解答

省略