IMPAC-T タイ南部調査
風間、小野、宮城、森澤、吉田、チャイワット
2011年11月1日火曜〜6日日曜


行程地図


11月1日火曜
朝6時15分に宮田をピックアップしようとしたら寝ていて先に行ってくれと。続いて30分に森澤を八木山の寮でピックアップ。下道で空港まで。空港に7時15分位。GPSの三脚と荷物をまずおろしてからMY駐車場へ。6時半からやっているとのことで車で送ってもらった。三英と同じにオープンしたらしい。久々に会えて無事を喜びあった。空港はそれほど並んでいない。30分着の電車で宮田と吉田が到着。宮田はバスとタクシーを乗り継いだらしい。小野がしかし来ない。なんでもグーグルの時刻表は全面開通前のだったらしく、慌てて仙台からお姉様に車で送ってもらったとか。8時15分離陸の20分までに到着。皆搭乗時間前には間に合った。名古屋便は半分くらいの搭乗率ですいていた。中部空港は結構人がいた。しかし特に待つことなく出国。キオスクでお土産を6個。2つは白い恋人にした。これはスティサック先生とぺへの。あとは事務所関連の小さいやつ。タイ航空も半分位。火曜発だからすいているのかも? しかも驚いたことにシートテレビであった。成田便はしょぼいやつだったのに。スワンナプーム周辺も結構水が多い。定刻通りに到着。国内線乗り継ぎでゲートで待つ。チャイワットも来て搭乗。満席であった。1時間でクラビ。7時前であった。ホテルの車がむかえにきてくれて市内まで。ホテルはダウンタウンから河口に向かったところ。街中は遠い。学生4人は家族部屋。自分はダブルの部屋に。2400バーツ位。無線がただ。部屋は立派であった。プールはしょぼい。7時半に打ち合わせをロビーでして、8時のシャトルバスで街中へ。ロイカトンが近いからかお祭りをしていた。ロイカトンは10日とのこと。投てきのゲーム20バーツを少し。ダーツはあと一個であった。食事をわきのシーフードの店で。ここは美味しくなかった。人通りの多いところで珍しい。その後、ロッティとお茶を飲んで、バイクタクシーの運ちゃんがやっている車でホテルに。乗用車7人乗り。11時過ぎ。


お祭り中

投てきゲーム 一回20B

夜店のわきの店で。美味しくない…

ロッティの店。森澤が幸せ




11月2日水曜
朝コーランの音に反応して犬が大量に鳴く。これがうるさいというかすごいというか。7時30分に食事。初めの客だったらしく出てくるのが遅い。しかもメニューを見せてアメリカンブレックファーストしかない。8時に学生は降りてきた。9時に出発。アオナンビーチへ。ぺが泊まっているホテルによってピックアップ。アオナンビーチは海岸沿いに道路があり、逆側にバーやホテルが並ぶ。パタヤよりきれいで清潔な感じである。町の規模は小さい。ホテルの前かGPSを始めたが、樹林帯を抜ける際に衛星をつかめなくなるとのことで、再度海岸に設置する。相対座標でよいのでたぶん大丈夫。1キロをジグザグに吉田が進む。小野が付き添い。ぺとチャイワットも一緒に進む。宮田と森澤は砂取り。自分は基地局を見ていた。カセ大の学生はM1二人でぺの学生。1時間ほどで計測。海浜はそれほど変化がないので細かくやる必要はないと感じた。そこから一つ奥にいったノッパラッタラビーチで食事。出てくる時間を使ってソフトでデータが読めているかどうかをチェック。USBの調子が悪く読みだせないので、SDを介してPCに。うまく読み出せた。まあまあうまくいっているようである。食事後、津波の影響を受けていないというKlong Moungビーチを観測。ここも1キロ位。ジグザグの間隔を長くしたので、40分位で終わった。ここではカセ大は1断面をスタッフを使って観測していた。あとでデータを合わせると良い。さらに奥のKoh Kwangビーチへ。ここは小さいが左の岬(Chean Vanich Jetty)からイプサム?を輸出するための埠頭が出ている。大型の船をいる。左岸側を計測する。慣れてきたので、設置が速い。雲行きがだいぶ怪しいので、ピッチを長くとるようにした。30分で戻るがこのときに小雨が。回収が終わると同時に本格的に降り始める。移動中はシャワーであった。アオナンビーチに戻ってカセ大を降ろすときには雨は止んでいた。

ホテルに戻って少し休んでからマッサージへ。連れていってもらった一角はマッサージ屋が集中している。すべて1時間300バーツ。アオナンビーチでは200が相場だったから高い。マッサージは極めてふつうであった。森澤のほうはしゃべってばかりでいまいちだったらしい。宮田が所望したロブスターは、行ったシーフードの店にはなかった。結局ここをやめて朝歩いた公園のわきにある地元相手のレストランへ。ここの味はかなり確かであった。チューチーとチャンバラ貝のようなやつ。ヤムの種類がないのがクラビらしい。このあとに川沿いの市場で。皆が希望したパッタイを食べに。甘味もいくつか。春巻きはまずかったけどパッタイは確かであった。自分はビールを飲んでいた。ホテルに戻ったのは11時位。


ホテルからの風景

散歩した海浜公園

アオナンビーチ近くのガソリンスタンド

ぺのホテルでミーティング

始めに設置した場所。

昼食前にデータのチェック

第二地点Klong Moung

第三地点コーカオビーチ

海浜公園の右にあるレストラン

ちゃんばら貝のようなもの。大きい。

ナイトマーケットでパッタイを。
森澤は甘味を。




11月3日木曜
9時集合。ぺも来た。空港にスティサック先生を拾いに車2台でいく。空港で10分ほど待つ。空港で換金とお土産屋で絵葉書とスタンプを購入。切手も買えた。スティサック先生のグループは3人。土石流警戒システムの設置が目的。さらに1台余分に借りて3台でカオパノンへ。3月の崩壊現場。車で1時間ほど北上。カオパノン(パノン山)は台形の面白い形をしているが、遠くからでもずたずたに崩壊しているのがわかる。かなり離れたカオパノン市まで50年前には土石流が襲ったとのことで驚く。Huai Nam Kaeo川の沿って上流へ。被害を受けたナーカオ村(顔山)を通過。被害を受けた地点のKlong Pho Thakは中流で、Huai Nam Kaeoの支流であるが、土石流がきていた。新しい家が建っていた。ここらへんの粒径は小さく、上流に行くと大きな粒径が巨大になるとのこと。この流域は、泥岩(赤色)がほとんどであり、クラビのような石灰岩が少し、上流は花崗岩である。土石流には3つが混ざっていた。さらに上流にむかいRIDが2005年に作った灌漑用堰まで歩く。基礎は残ったけど上屋は全て流されていた。ここから1500mのパイプで送水していたが、すべて流された。ここらへんにあるものはすごい巨石で、富山の大転石をしのぐ。ここで村長さんに会って話を少し聞いてから、昼食へ。村まで降りて行った店は売り切れで、そこから移動した店で昼食。クイッティアウ屋。隣は駄菓子屋で飲み物も売っている。向かいは中学校であった。センミナムを。かなり美味しかった。スティサック先生が払ってくれた。山に戻ってゴム園の中のでこぼこ道を車で上る。途中で降りて今回の決壊した源を見に行く。山道を上り続ける。崖錐の上までが農園になっていて、そこからは泥岩と花崗岩が混ざる。いくつかの土石流が流れたあとを見ながら、崩壊地の下側に着く。ここでは土石流が分流していて、センサーを付けるには良いとのこと。ただし、無線は飛ばせないので、携帯で送ることになるとのこと。ソーラーパネルで電源は確保するらしい。ここの傾斜角は15度。土石流の原因を土地利用というものもいるが今回は雨のみ。土地利用変化していない場所が崩壊。くだりは子供が先頭になって早い。宮田もついていっていた。湿っていて滑りながら下りる。かなりの疲労である。汗まみれ。車に着いたところで小雨が降り出す。昨日、今日とギリギリ雨から逃げている。帰りはそのまま夕食に行った。昨日の朝に歩いた公園を川に向かっていったところ。18時半についた。バイトゥーイという名の店。かなり美味しかった。スティサック先生が払った。ちょっと恐縮である。21時前に食事が終わってホテルまで歩く。10分ちょっと。


ホテル

清潔

クラビの空港

カオプノン 崩壊地が生生しい

最下流の被害地域。粒径が細かい

茶色が泥岩。白が花崗岩

住民は井戸を利用

中流。だいぶ大きな岩が。

こうした倒木が多い。

さらに上流の堰を望む

昼食場所。2回きた。美味しい

ゴム園の端。ここから上る。

ジャングルを進む。本当につらい。

始めの崩壊地点

こんなとこを延々と。

こんな岩がごろごろ

もはやトレッキングの領域を超えている

崩壊の源流部で。大所帯。

バイトォーイレストラン


ゴム園を通過する際の車の動画。.ひどい道なのがわかる。



11月4日金曜
8時半にスティサック先生が迎えにきて出発。昨日行った村から同じ道を上るが山道の途中で東に折れる。ゴム園の上端あたりで降車。10時半位から上り始める。それほど傾斜がないので疲労はない。チャイワット曰く今日はきつくない。だけど実は丸太橋を渡ったり、崖を下りたり、かなり厳しい行程である。斜面崩壊は2つ見た。かなり規模が大きい。1つ目は円弧すべりを示している。そのあと、浸食土砂が埋めているようなかんじ。幅40mで、傾斜角は30度、高さ35m。3月28日崩壊。そこからもう一つむこうの沢の2つ目は途中に巨石でできた天然ダムがあり、そこでデブリが止められていて、下流側に泥質のものが堆積していた。3から4m位たまっていて網状河川を形成していた。ここで12時。ここの傾斜角度は14.5度。幅は25m、水平距離が36.11m。ここで宮田が転んで足をけがする。心配したが擦り傷で歩けるようでよかった。滑ったらしい。乾かすよりサランラップとかで湿らせたほうがよいらしい。

そこから降りて3時間で車の場所に戻る。昨日に続き汗だくである。1時半すぎに昨日の場所で食事。緑バーミーヘンを頼む。美味しい。黄色より美味しかった。まとめて自分が払った。800バーツほど。2時半に村長の家の集会場所でスティサック先生が説明。住民は50名ほど。警戒装置の導入に協力を求めていた。反対する人はいなかった。1時間ちょっとほどで終わる。終了後、東北大は二人に質問。

 質問事項  男性 女性 
何年前から住んでいるか?  30年位前  20年位前。ダムのわきに住んでいる
 地すべりの兆候はあったか?  川の色が変わった。山で大きな音がした。  雨が強くて音は聞こえない
 避難場所は?避難はどこに?  避難場所は知らない。川の色が変わったときに山に上のほうに逃げた。  土石流がきてから斜面を登った。
 地すべりの経験は?  今回が初めて  今回が初めて
 援助は?  家は壊れていない。村はNGOの寄付や貴族からの援助で20軒ほどが建った。  家は壊れなかった。


4時半に村をでる。ひどい雨であった。5時すぎにホテルに戻ってカセ大と別れる。7時15分のシャトルバスで街中へ。川沿いマーケットの向かいにあるタイレストランへ。ふつうのタイ料理を食べる。かなり美味しかった。エビ1キロ1000バーツ。学生も出費して食べた。食事後、タクシーがつかまらず。歩いているうちに250バーツの洒落たマッサージ屋を見つける。ここで6人200バーツにしてもらって、さらに車で送ってもらう交渉。120バーツで車で送ってもらうことに。交渉した店は4人しかできないとのことで、チャイワットと自分は隣の店に。220バーツでOK.。腕もよく、レモンの香がする目隠しもあってかなりよかった。車もゲットしたし。12時前にホテルにもどる。


こうしたゴム採集がえんえんと続く

出発地点。ここがゴム園の最後

沢をいくつか超える

ここから花崗岩に。

危ない斜面…

土石流が下ったあと

崩壊地第一地点。

上で円弧滑り

ガイドの手助けがいる

天然ダム下流の堆積部

そのわきは石灰岩の鍾乳洞

でかい葉でトトロ気分

これを超えてゆけ

綺麗なキノコの配列。

ガリが形成

写真展用の写真を撮る

出発地点に戻る。3時間行程

村民への協力依頼

村長の家の近くの下流部。土砂がひどく堆積。

雨量計。変なとこに設置。

KOTUNGレストラン。グー!

また甘味かよ!

ナイトマーケット再び




11月5日土曜
9時にチェックアウト。車で空港内のTMDに。クラビ県のレーダーと雨量計の情報を収集。上位にプーケットのTMDがある。レーダーは2つのデータが映し出されていた。雨量計とレーダーのデータは全てバンコクに送っているとのこと。プーケットのレーダー画像で3月28日のものは残っていた画像をもらった。建物の上からの景色と地上の観測機器を見た。放射計はやはりなかった。パン蒸発を計測。なんでTMDは放射じゃなくてパンを測るのかいつも疑問である。


部屋

クラビTMDオフィス


ロータスでお土産を買って空港へ。空港で荷物を詰替えてからチェックイン。混んでいるらしく自分はアップグレードしてくれた。他の皆も問題なく出国。ここで出国であった。ここでチャイワットをわかれた。待っている間にこれを書く。ビジネスは3割位であった。定刻をやや遅れて到着。チャイワット先生とお別れ。空港でお土産を物色してから搭乗。離陸はやや遅れた。



11月6日日曜
6時半に成田に到着。仙台便まで時間がある。チェックインに時間がかかる。満席らしく荷物の宅配便配達の協力を求められた。うだうだして過ごす。天候が悪くて1時間遅れ。結局、風間と宮田以外の小野、森澤、吉田は荷物が翌日宅配になった。仙台空港で解散。吉田は知人が迎えに、3人は風間の車で1時には帰宅。宮田を除けば特に大きな問題なしでよかったです。